今日は明確な意図をもって「観察系の瞑想」をしてみた。
非常に良い感じだった。清々しい思いだ。
「観察系の瞑想」には、数千年の歴史があるという。
かの有名人。ブッダも実践していた瞑想の方法だ。
今まで僕は「集中の瞑想」「祈りの瞑想」「認知療法的な瞑想」「瞑想しながらの思考」はしていたが、観察系の瞑想をちゃんと意識しておこなったことは、あまりなかった。
そもそも「観察する」とはどういうことか。「気付く」とはどういうことかが分からなかった。
とても曖昧で、とらえどころのないようなものに思えた。
どこからどこまでが「観察」なのか。どこからどこまでが「妄想」なのかが分からなくなる。
観察しようとしても何も出てこない。なんとなく時間が過ぎていってしまう。
だから自分を観察するよりは、祈りの瞑想で自分を改善したり、集中の瞑想で心の平安を得たかった。
だが今日思ったことは、おそらく観察の瞑想は、より脳の高次元な処理をおこなうものだ。
自分の思考や状態を、一歩引いて見てみる。
これは集中系の瞑想よりも難易度が高いように思えるが、時間をかけてやってみる価値はあるようにお
そして気づいたのは、まずは最初に「体の感覚」に注目するのが効果的ということだ。
つい「観察」や「気づき」というと「心の働き」だけに目がいってしまいがちなのだが、まずは肉体の感覚に集中する。体の感覚を思う存分に味わってみる。
そうすると、次に精神の状態もずっと観察しやすくなる。
今まで僕は「体の感覚ね、はいはい、分かってるよ」という感じで、この段階をすっ飛ばしていた。
たとえばすべての武道においても、優れた武道家は、基本の習得に多くの時間をかけるという。
瞑想も同じように考えてみたら良いんじゃないだろうか。
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