Saturday, November 19, 2016

悲しみを感じる時にこそ瞑想で自分を観察しよう

いままた、俺は人生の大きな問題を感じている。

そして、考えた。

「自分を観察する」という瞑想は、大きな問題を感じている時にこそフィットする。

なぜなら、毎日がうまくいっている時は、心に波風が立つことが少ない。
まるで「観察する対象がそもそもない」ような状態なのだ。

だが、強い感情に揺さぶられている時は、心に大いに観察の余地がある。
俺は、書籍「からっぽ」に書かれていることを思い出した。
俺は自分の心の内側にある「悲しさ」の正体を見つけようと試みた。

いま自分が持っている悲しさは、いくら観察をしても、集中をしても、祈りを重ねても、なかなか消えてくれないように思う。
少しずつ強くなったり、弱くなったりということを繰り返している。

瞑想は、いますぐにこの心を癒してくれるわけではないようだ。
だけど、それは問題じゃない。それで良いんだ。
俺は瞑想に魔法のような働きを期待していないし「人生の困難な時にこそ、マインドフルネスを保つのが難しい」ということは心得ている。
そして、心を観察すれば、決して楽しいことばかりじゃないということも。

人生は簡単なことばかりではつまらない。難しいことも時には必要だ。
こいつは大いに、瞑想しがいのあるミッションだと考えた。より自分自身を知るチャンスだと。

もし俺に瞑想の瞬間がなかったら、この悲しみに対して、自分を投げてしまうか、思いのままに嘆き、酒を飲んで紛らわしていたことだろう。
もしくは、時間が流れるままに任せて、癒しの時をただひたすら待っていたことだろう。

だけど今では、瞑想によって「悲しみを観察できる」「悲しみに働きかけができる」という、能動的な武器を得ている。
こいつできっと、より自分自身を理解し、癒しのプロセスを加速させることが出来るはずだ。

心が治るのを、ただ待っているなんて、もったいない。


No comments:

Post a Comment