Saturday, February 11, 2017

即断即決の罠 | 「スピーディーに決めることが出来ない」を許す

「たくさんの時間を考えて良い」
「ひとつの答えを出すために、たっぷりと時間をかけても良い」

このことに気付いた時、僕は救われた気持ちになった。

僕のひとつの悩みは「決めるのが人よりも遅い」ということだった。
実際に測ってみたわけではないが(思考は外から見えない!)、自分の視点から見て、そう感じられることが多いことだった。

たとえば、居酒屋のメニューであれば一瞬で決められる。
たとえば、コンビニで買うチロルチョコの種類だって、閃光よりも速く決められる。
だけど、仕事上の重要な事柄だったり、「休日の過ごし方をどうするか」という一見些細な問題であっても、ひとつのことを決めるのに、かなり考えてしまうことが多い。
他の人はいとも簡単に、重要な事柄を、スイスイと決めているように見える。
だから「すぐに決められないこと」は、僕にとってひとつのコンプレックスだった。

「スピーディーに決められないのは、自分の何かが悪い」
「自分は人より、かなり頭が悪いのではないだろうか」
「どこかにもっと、素早く決められる方法があるはずだ」
と考えて、これを改善する方法を探していた。
だが、こういったものは思い込みだと決めて、いったん捨ててみることにした。

そのかわりに「重要な事柄は、時間が許す限り、ゆっくり考えること」を許容することにした。
「答えが出ていないということは、もう少し考える必要があるということだ」と思うことにした。
そして「かなりたくさん考えても、結果として答えが出ていない結果」を許すことにした。贅沢にも。
こうすると不思議と、ゆっくりと考えた結果として、適切な答えが出てくることが多くなってきた気がする。


「いつまで考えても答えが出ないように思える」ということが、すなわち「これが重要な事柄だというサインなのだ」と僕は理解した。
時には、本当の堂々巡りだってある。
問題設定自体が間違っていて、いつまで考えても答えが全く出ないことだってある。
だがそれも、考え続けることで、問題設定の誤りを理解するチャンスがある。

こうして僕は「出来る限り早く決断する」のではなくて「適切な答えが出るまで考える」という方法を取ることが多くなった。

ゆっくりと考えることには、世間で思われているよりもずっと価値がある。
ものすごいスピードで重要なことを決めて、ものすごいスピードで間違うよりは、なるべく納得のゆくまで考えて、できるだけ適切な結論を出す方が良い。


僕は全ての人が、全ての事柄に対して、全てのシチュエーションで、全ての決断を「ゆっくりおこなった方が良い」とは、微塵も思わない。
「ゆっくり決めること」自体が良いことだとも、特別価値があることだとも思わない。

ただ、僕という個人にとって、ある分野の事柄に対して、特定のシチュエーションにおいて「ゆっくり決める」ことは、非常に有効に働きやすい、ということは知っている。


たとえば荒唐無稽な話だが、仮に「世界に向けて、核の発射ボタンを押すかどうか」を悩んでいる、未来の大統領がいたとして、僕たちはきっと「スピーディーな決断」なんかせずに「恐ろしいほど熟考してほしい」と望むことだろう。

そう、重要な事柄だからこそ、決断に時間がかかるというのは、当たり前の話なのだ。
逆に、決断に時間がかかるということはすなわち、それが重要な事柄である可能性が高い。
そして、重要な事柄であるならば、熟考する価値があるし、じっくりと考えた方が良い。


こうして僕は「即断即決の罠」から逃れようとしている。

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