Saturday, January 21, 2017

未来志向な人は過去について思い出す習慣を持ってみよう

僕は未来志向の人間だ。
こう書くと良く思えるかもしれないが、実はそうではない。
正しく言うと「未来志向」であり「不安志向」だ。

たとえば、僕が休日に多く考えることは「いつ、この休日が終わってしまうか」ということだ。
そして「どんな過ごし方をしたら、後悔しないだろう」と考える。
読書をしていれば「瞑想をしなくて良いだろうか?」と考えるし、
瞑想をしていても「瞑想で休日を浪費していないだろうか?」と考える。
これは「あとで後悔しないだろうか?」という、未来志向の考え方である、ということに気付いた。

その他にも、
「どうすれば、明日からの仕事を良くすることが出来るか」
「どうすれば、将来の不安をなくすことが出来るか」
「どうすれば、仕事のキャリアを作れるか」
「いつ、人生が終わってしまうだろう」
なんてことを、僕はよく考える。
考えのほとんど、99%以上は未来に関することで占められている。
ポジティブ・ネガティブに関わらず、考える事の殆どは、過去でも現在でもなく、まだ来ていない時間、未来のことなのだ。
だが自分の思考とはあまりにも長く連れ添っているので、自分自身でこのことに意識的でなかった。

これは、子どもの頃からそうだった。
たとえば遊園地に行くと「いつ、この楽しい時間が終わってしまうのか」ということばかり考えて、悲しくなっていた。

逆に、過去のことを思い出すのは苦手で、一体どんな出来事があったのかも、ほとんど思い出すことが出来ない。これはもう、びっくりするぐらい。
昔のことを思い出すのがあまりにも苦手で、まるで全ての思い出が欠けてゆくようで、たまに悲しくるぐらいだ。
過去のことを考える能力がきわめて低い。この能力が磨かれていない。

だから今日は、瞑想をしながら、過去について考えていた。
意識的に過去のことを思い出してみた。
そもそもこの能力を日常でほとんど使っていないから、出てくるのが遅い。

だけどたとえば、

「人生で、一番印象深かったことは何だろう」
「過去に一番、人にやさしくしたのはいつだろう」
「○○さんとの関係で、一番印象に残っているものは何だろう」

ということを、自分に問いかけて、思い出そうとした。
そうすると、人生でほとんど感じるチャンスのない、たまにしか訪れない、けれどもよく知っている、奇妙な安堵を感じた。
いくら未来について考えてもなかなか感じづらい「人生の意味を感じている」という感覚があった。

僕と同じように、自分が未来志向だと思う人は、たまには過去について、瞑想をしながら、深く掘り起こしてみても良いかもしれない。


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