Tuesday, March 21, 2017

感覚に対処する vs ただ経験する

ひとつの感覚に対して

- 対処しようとする
- ただ経験する

この二つの違いは大きい。

普段、僕らは不快な感覚からは逃れようとする。
「逃れようとする」のは対処の一種だ。
「忘れようとする」「変えようとする」「気をそらそうとする」のも対処だ。

逆に「味わう」「放っておく」「観察する」というのは「経験する」という行為だ。

僕らは何か感覚が生じた時、いつでも対処しようとしている。
何らかの対応を取ろうとする。
そして常に「ベストな対処」を探し求めている。

だけど、そもそも「対処」なんかしなくて良いとしたら?

たとえば、不快さを起している感覚を味わってみる。
そうすると、実は不快だと思いこんでいた感覚は、そんなに恐くないものだと分かる。
むしろ、その感覚を味わうのを楽しむことさえ出来る。
そして「今、この感覚を経験している」と気付くと、喜びさえ感じられる。

実は、不快さからは、逃げようとしなくても良い。
感覚は味わったり、観察したり、その経験を楽しむことが出来る。

「感覚が起こっている」ということ自体、じぶんというものが存在している証拠だ。
これを経験として楽しまない手はない。

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