Saturday, November 19, 2016

瞑想の本を読みすぎて頭が混乱してない?

最近俺は、瞑想関係の本を多く読みすぎて、なんだかよく分からなくなってきた。
何が正しいのか、何が間違っているのか、何が正解で不正解なのか。

「サーチインサイドユアセルフ」
「マインドフルワーク」
「からっぽ」
「マインドフルフォーカシング」
「ストレス低減法」
「マインドフルネス」
「マインドフルネスを超えて」
「心を整えればシンプルに生きられる」
「今、ここを生きる」
「悟らなくたって、いいじゃないか」
「ブッダの瞑想法」
「本当の自分とつながる瞑想入門」
「1分間瞑想法」
などなど。

より新しい情報、知らないことが知りたくて、いろいろな種類の本を読んだ。

そして分かったことは、瞑想も決してひとつではないということ。
瞑想にもたくさんの種類があり、それぞれのやり方がある。そして、お互いは微妙に異なっている。

要するに瞑想とは、自分の心に対して働きかけること全般を表している。
たとえば武道にも空手や柔道、弓道や剣道などがあるように、瞑想も一種類ではなく、いろいろな種類とやり方があるのだ。

ある書物では「絶対に座禅を組むこと」と教えられ、ある書物では「姿勢はどうでも良い」と教えられる。
ある書物では「かゆくなっても体をかいてはいけない」と教えられ、ある書物ではその逆が教えられる。

瞑想中、みずから心に働きかければ良いのか。それとも、心の働きのままにそれを観察すれば良いのか。
呼吸は「心地良さ」を目指しておこなえば良いのか。それとも「ごく自然な、手を加えない呼吸」が良いのか。
瞑想はだんだんと心地よくなっていくものなのか。そうではないのか。
鋭い意識で呼吸に意識を向ければ良いのか。それとも環境の中にいる自分と、その呼吸に意識を向ければ良いのか。
祈りの瞑想の効果はすぐに消えてしまうのか。そうでないのか。
何が優れていて、何がそうでないのか。最も重要なものとはなんなのか。

俺はだんだんと分からなくなっていった。
心をシンプルにするために瞑想を始めたのに、逆に瞑想が心に混乱を起こしている部分がある。

だけどこんな時こそ、瞑想的な考え方を発揮すべき時なのだろう。

それは「自分のことは、自分で決める」ということ。
あとは「効果的に働いていたら良いし、そうでなければ悪い」ということだ。
つまり、自分の心に問いかけてみるのが一番良い。

きっと、心に決めさえすれば、この瞑想のいろいろな情報の中から自分に合ったものを見つけて、自分なりの態度、そしてベターなメニューを組み立てられることだろう。
それまではちょっとだけ試行錯誤が続くかもしれない。だけどこれは、より良いものを見つけるための、一時的な混乱だと考えている。

Have a good meditation!

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